人生を遊ぶ

辛いことがあるからこそ他のすべてを楽しもう

境を越えるという事

「越境」と「越権」は紙一重

お仕事界隈では「越境を意識してほしい」とか「越境していこう!」なんてことを聞いたり言ったりするわけですが、、

抽象度の高いオーダーを出しても行動を簡単に変えるのは容易ではないですし、具体的な業務などに落とし込む作業を伴走せずに曖昧な行動変更要求だけ投げる姿勢は、相手にとってプレッシャーにしかならず、ある種「○○って何だと思う?」という上司であるオレが求める正解を引くまで一生問いかけ続けるからな的パワハラインタビューにも近い臭いがしてきました。会話が通じない不機嫌な親の機嫌を取るようなものほどのしんどいものではないかもですが、相手によってはすごく疲弊するものかもしれません。

何故なら共に仕事をする仲間間でも「余計なことを」という言葉が聞こえてくる場合があるからです。それがよりによって利害関係が強い評価者間であれば、尚の事保守的な動きにならざるを得ない部分があるということを覚えておきたいです。期待に応えないとと思って動いた結果、越権だなんて誰しも思われたくありません。

何を越えるのか

結局のところ「どこにライン(境界)があるのかわからない」事こそが心理的安全性を下げる要因になっている気がします。

そのラインがどこにあるかは視座の高い側が引きやすいので、そのラインを一緒に引く作業を行う必要がありそうです。それをせずに自分しか解ってない線を越えてこい!なんてのは少し乱暴なので、私も周囲にそういう振る舞いはしたくありません。まぁ、中にはそのラインを感覚的に察知するのが得意な、サッカー副審のようなラインズマン感覚を備えた人がいることも事実で。だからこそ注意が必要で、そこに基準を持って全体に接すると良くない気がします。

ラインの確認方法

このロジックさえわかれば怖くありません。ラインを確認するだけと言えばそれだけです。自分に対して期待を掛けてくれている上司やチームメイトを一人でも持てているならば、それはとても幸運なことなので、上手く線を確認しておきたいところ。

やり方はいろいろあるんだと思いますが「ここは越えてきてほしくない」を聞き出すのも良いかもしれません。ただ権限や役割というのはこれまた厄介で、例えばマネージャーなんて言葉は多岐にわたる役割で構成されていたりします。すなわち越境を求めている相手が「どの部分についてもっと前に出てきてほしい」と思っているかをを知る必要がありますし、伝える必要があります。そしてそれを整理することがとても重要になってくるわけです。

「項目」と「時間」

また難しいのは、越境には項目だけでなく時間も存在しているような気がします。

例えば「Aさんは○○がもっとできるはず」と「Aさんは将来的に○○を任せたいと思っている」とでは期待値が全く異なります。Aさんへの期待値が前者のように「現状での下振れ」なのか後者のような「ポテンシャルから見た未来」なのか。

ですので項目の見出しと併せて、時間軸で期待値やそれぞれのラインを測ることが大事だなと。例えば、自分が上司側ならば「Aさんは現状こうだけど、1年後にはこうあってほしい」とか、逆の立場であれば「私はこう思っていますが見えている範囲や動きは足りていますでしょうか?また1年後ここまで出来るようになると良いなと…」と問いかけてみるのが良いでしょう。

「気付き」から学習・成長を得る

気付きが纏まっていない状態で筆を執っている状態なので、書きながら整理してみます。

気づきの機会を得ること

日々いろんな方がいろんな学習方法や成長論の記事を目にしますが、私はどんなやり方でも良いのでこの目的を大事にしていて。「こんな風にやってました」と示唆するような記事がとても好きです。

kentarokuribayashi.com

学習や成長というのは「気づきの機会を増やせるかどうか」に掛かっていると思っていて。気づくことで自信にもなりますし、次の学習意欲にも繋がります。

なので会社でメンバーとも積極的に1on1をセッティングしたり、若手メンバーに対しても受け身だと絶対出てこないような話題から、色んな問いかけを行っています。もちろんこれが私にもプラスになりますし、被面談者軸で生まれてくるコンテキストの強い話題に終始せず、再現性のある普遍的なビジネススキルについて情報交換できるので。

 

思考こそ至高

で今回の気づきなのですが「この気づきがどうやって生まれたか」です。1人でアレコレ考えていたからなんですね。うん、まぁそりゃそうだろうって話です。

何が言いたいかというと「思考は一人無限1on1」みたいなものだなと。思考こそいろんな気づきを得るコスパ最強の学習成長ツール。そう考えると如何に思考をする機会を創っていけるかがポイントになってくるわけです。

 

思考の機会をどう増やすか

では自身が思考しているのはどんなシーンか。

例えば私は書籍を読んでいて気付くとふと、その書籍で得た知見を仕事の事と照らし合わせて妄想していることが多く、なのでなかなか読書が捗らず。すなわち「脱線することが多い」わけなのですが、この脱線は思考が活性化している証拠なのでは?なんて風にも考えられます。

では脱線する頻度が高いのはどこかなと考えると、やはり一番は読書で、次がTwitterポッドキャストなども良く脱線するものの、頻度は少ないかなと。そう考えるとやはり活字からいろんな気づきに発展しているんだなと振り返ることができました。

 

一人でちゃんと1on1してみる

もはや日本語がバグってきていますが、、続けます。

他者と1on1するときは(ここでは私が所属しているチームメンバーと1on1するときのことを指していますが)、「何を変えていくか」について話します。

例えば相手の強み弱み得手不得手を考慮しながら、そして何よりメンバーの気持ちを汲みながら、何を変えていくか、何を育んでいくかを相談するわけです。この時にどうしても先に伝えておいたほうが良い事はその内容に混ぜますが。例えば評価面談の段階で相手から「(今まで黙ってて急に言うなよ)」なんて思われると良くありませんので。

これは一人1on1でも同じことだと思っていて、自分が何が変わるとハッピーかを考えることが大事だなと。

こう考えると、ターゲットを絞ってここで言う「必要なインデックス」を探しに行ける書籍や読書は強いなと。TwitterなどのWEBメディアはもちろん対象者を絞ることはできても、受動的にならざる得ない部分があるので。(もちろんそのセレンディピティみたいなものや偶発性を得るためには重要な媒体であることは間違いないのですが)

 

自分と相談しながら

ということで、私はこれからも一人1on1を成立させるために、自分が「よくわかってないな」「会議でこの話題になったらやだな」「これなんかよく聞くけど面白そうだな」「この仕事増えそう」などなどなど、どんな動機でも良いので、自分と相談しながら何を学んでいくかターゲットを決め、繰り返し繰り返し一人1on1をやっていこうと思います。

良質な書籍を大量に読める時代

祝初投稿

小さな気づきをひとつ。

 

何かを知るって楽しい

最近よく本を買ってインプットしており、技術系のものやビジネス系のものが中心なのですが、アウトプットとのバランスの悪さに頭を抱えつつ積読が止まらないような、そんな非効率な状態が続いていて。本を少し読むとちょっとした文面から強い気づきを得てすぐに思考の脱線が始まり引き返せなくなることが少なくないのもまた、その非効率の原因の一つ。

なのですが、内容よりも読書から生まれるインスピレーションそのものに生を実感したりして、ついついまだ読めてない書籍を横目に次から次への新しいものを買ってしまうわけです。

 

最近の書籍のレベルはどうなのか

ところで、読書をしていて頻繁に思うのが、最近の書籍はネットで簡単に情報を仕入れれたり簡単にイラストを作れるこの時代だからこそ、昔の書籍よりも正確で濃厚で読みやすい本がとても増えてきてるんじゃないかなという仮説を持っていて。

「仮説」という表現を用いたのは、私が元々読書好きだったわけでなく書籍も最近のものに偏っており、検証もなにもできてないのであくまで想像の域を脱しないためですが、ここ10年のソフトウェアの進化から考えればそれなりに的を外してないのではないかなという予測を基にしています。

体系的に項目が整理されているものが多く、さらにそのキーワード(インデックス)が他の書籍のインデックスと繋がっていることも多い。点が線が面が…状態で頭がどんどん整理されて行っている感覚を覚えていて。言語化の質も量も向上しているというか。もちろん体系だけを整えるため中身の薄い項目が、無理やり差し込まれているなと感じることもしばしばあったりはするのですが。

 

学びの速度が加速する

これは媒体に限らずの話しなのですが、たとえば書籍と同じく、様々な巷にあふれる情報の質が向上していっているのであれば、日を追うごとに「学習自体の速度」も加速しているのかなと。

そうなると学習する人としない人では大きな差になりやすく、特に学ぶことがその人の裁量に委ねられている社会人は、毎日の過ごし方一つで、一年後にはとてつもなく大きな差が生まれていたりするのかと思うと、ある種のプレッシャーを感じたりもします。

 

何かを知るって幸せ

この独学大全もまだ読み始めなのですが、日常の色々をゲームのように面白くしてくれるような、一生掛けても世の中の面白い視点を消化しきれないほど、すごい本がいっぱい出てきているなと考えているだけでも、とても幸せな気持ちになります。